ライスボ~ル⚾️

アスリートフードマイスターの母による野球少年を大きく強く育てる方法。

SAJ公認スキー準指導員検定、合格!!

前回の投稿からかなり日数が経ってしまいました。いつもご愛読くださっている皆さま、間隔が空いてしまい、申し訳ありません。

2月15日のセミナーのパネリストという大仕事の後、私は、スケジュールを一切入れずにスキーに集中しました。
私が子供の頃から憧れていた、「SAJ公認スキー準指導員検定」通称「ジュンシ」と呼ばれる検定に合格するためにスキー場に通っていました。頭の中はスキーのことしか考えられず、そのためにブログもお休みさせていただいておりました。

昨年11月から理論の授業が始まり、12月に理論の試験。
そして雪が降ってスキー場がオープンしてから、ほぼ毎日スキー場に通っていました。お仕事や子供との用事でスキー場に行けない日は、焦りました。スキーに乗っていないと不安で不安で仕方なかったのです。

アスリートフードマイスターとして、メンタル面の勉強もしたはずなのに、自分の心のコントロールはかなり難しかったです。
モチベーションの維持、集中力の維持は本当に大変でした。

テレビでは平昌オリンピックでのトップアスリートの活躍ぶりを目にし、彼らの苦労と心の葛藤は相当なものであると認識しつつ、それに比べて私の悩みはまだまだ小さいよな…と自分を奮い立たせている日々でもありました。

「ジュンシ」の実技試験は全部で8種目あります。
ジュンシを受験する人は、SAJの級別テストで1級を持っていることが最低条件ですので、この時点で、受験者はみんなスキーが上手いのです。上手くて当然なのです。

しかし、ジュンシの検定で求められるのは「指導者になるための滑りの技術」であり、学ぶことは本当に多かったです。スキーが上手いからこそ、ジュンシの種目は練習するのが本当に大変でした。

滑るフォームの矯正は難しかったです。
数センチレベルのヒザ、手、肩、骨盤の動きの矯正、上体の傾き、ターンをする瞬間の身体の矯正なんて1秒にも満たない瞬間を考えて矯正しなければなりません。
それを研究し、身体に覚えさせるというのは、数日でできるわけでもなく、昨日できた滑りが今日できない…なんてことはザラでした。

毎日毎日スキー場に通い、指導者の方に教えてもらいながらも悩んでいました。
自分の滑りは合ってるのか間違ってるのか。
日々、上達しているのか、後退しているのか。
スキーをしない日は心だけ焦り、滑りに行くと自分のできなさにへこむ。
この辛くて苦しい練習は報われるのか…という不安でいっぱいでした。

2月12日に、ジュンシ検定の本番さながらの「模擬検定」がありました。
模擬検定は、私は不合格でした。
毎日の練習の成果が「ダメ」だという厳しい現実を突きつけられ、さらに滑りの研究と対策をしました。
ジュンシを受験する仲間たちと励まし合い、お互いの滑りをチェックし合い、みんなで合格できるようにラストスパートをかけました。

ジュンシの検定は、3月2日と3日。
そこに照準を合わせて調整してきたのに、3月1日は全国的に数年に一度の大型春の嵐。
北海道は数年に一度の猛吹雪で、検定前日なのに、スキー場はリフトが運休。前が見えないホワイトアウト状態でした。それでも私はスキー場に行き、自分の足でゲレンデを登り、2回滑りました。スキーに少しでも乗っておかないと身体が忘れそうで怖かったからです。

検定初日の3月2日もスキー場のリフトは猛吹雪で運休。一般のお客さんが入れない状態で、ジュンシ検定のためだけにスキー場が開放され、受験者は一番下のリフトのみ乗れるようにスキー場の管理会社が動かしてくれました。
急斜面での検定種目では、みんなで自分のスキーを担いで登りました。あんな崖のように見える急斜面をまさかスキーを担いで登るなんて、前代未聞だったと思います。登ったことの疲れで、検定種目をどう滑ったかなんて記憶のない状態でした。

そして検定2日目の3月3日、この日はスキー場はオープンしましたが、気温が高く、雪のコンディションがすごく悪かったです。こんな悪条件で、今までの練習が全てまっさらになるのでは…という不安がすごくありました。

でも受験者みんなが同じ不安を抱えて滑っているんだ…と思うと、急に気持ちが楽になり、吹っ切れた滑りができたような気がしました。

3月4日は閉会式と合格発表でした。
今まで習ったスキー技術、私の思い、応援してくれた家族や友人たちの思い、いろんなものがミックスされ、閉会式が始まる前から泣きそうでした。
合格者として、私のビブ番号と名前が呼ばれた瞬間、涙があふれ出しました。

ジュンシは私の子供の頃からの憧れでした。
ジュンシを受験できる技術にまでたどり着けたこと。それに合格できたこと。

閉会式が終わった後、今まで指導してくださった先生が私のことを「先生」と呼んでくれました。
指導してくださった先生が「先生になってしまったら、教わる機会はほとんどなくなる。ジュンシ受験の時が一番上達したし、密度の濃い時間だった」と言っていたことがありました。
辛くて苦しく、敵は自分。あっという間の冬でした。
本当に頑張って良かったです。家族やたくさんの方々に感謝します。

次の目標は3年後の「指導員検定」です。頑張ります。

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