ライスボ~ル⚾️

アスリートフードマイスターの母による野球少年を大きく強く育てる方法。

未来を現実に。

イチローさんの現役最後の3月21日の試合、そして引退会見、もう涙なしでは見られませんでした。
引退会見での彼の言葉は、一つ一つ重みがあって、心がこもっていて、野球愛たっぷりで、潤んだ目の奥にいろんな思いがあふれすぎて、本当に泣けました。

 

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イチローさんがアメリカに渡ったのは2001年3月頃です。
同じ時期の2001年3月27日、私はニューヨークに渡りました。
上の写真は、ニューヨークに出発する直前、亡き父が「これを持っていきなさい。ニューヨークで頑張って。」とくれた雑誌。
「プレジデント」2001年4月16日号。今でもこれは、宝物です。

雑誌の中で、「イチローには未来を思い描く力があった。未来を現実にする力もあった。」という記述があり、それが今でも印象的です。

イチローさんと一緒にするのは厚かましいけど、同じ時期に、同じアメリカでスタートラインに立った私は、不安と希望でいっぱいでした。

2001年当時、まだ20代だった私は、
ニューヨークで何かを成し遂げたい、ニューヨークで自分の道を切り開きたい。
とにかく、挑戦したい。
…と思っていました。
 
ニューヨークにいた間は、模索ばかりして、生き方に疑問や焦りを感じての日々。
子育てや主婦業にプラスして、一人の人間として確立したいときに、いろいろと思い悩む。
たまに泣きたくなれば、一人で泣く。全てを涙で洗い流す。
自分にたまった「負」のエネルギーを出し尽くす。
そして、すっきりして、前向きになる。光を見つけようとする。上を向く。
そうやって、生きてきた感じです。

イチローさんは、記者会見で「外国人」になったからこその苦労も語っていました。
「人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんです」と。

2001年の「9.11」が自分の間近で起き、外国人に対する風当たり(ビザや労働に関して)が厳しくなりました。
私も、外国人としてニューヨークで暮らしていた13年間は表現しがたい特別な感情の中で生きてきた感じがします。イチローさんが頑張っている姿がすごく励みでした。

 

アメリカに住んでいた頃は、メジャーリーグのゲームも何度も観戦しに行っていたので、生のイチローさんを何度も間近で見ました。

イチローさんの放つオーラに圧倒され、「よし私も頑張ろう」とパワーを何度もいただきました。

 

今は、子供たちの野球のサポートをすることで、さらにイチローさんの存在が近く感じられ、そして弓子夫人の気持ちも少しは共有させていただいているのかな…と思います。
今まで、弓子夫人に試合前に2800個くらいのおにぎりを作ってもらった…とイチローさんは語っていました。
私も、子供たちに今まで何個のおにぎりを作ったかわかりませんが、この先もずっとおにぎりを作って、心から寄り添ってサポートできたらいいなと思います。

私もまだまだやりたいことや夢はあります。
子供たちもこれから長い人生、夢がいっぱいあることでしょう。
 
自分の人生を切り開くのは、自分。
チャンスを見つけるのも、自分。

人生は長い。
後悔のない日々を。
「未来を現実に」。


私の人生においても大きな存在だったイチローさん、心から感謝するとともに、これからも応援します。
彼の生き方をマネできませんが、近づけるように頑張りたいです。

 

イチローさんは引退会見で「後悔などあろうはずがない」と言いました。

私もそうですが、子供たちにも、そう言い放てるような人生を歩んでもらいたいです。